さ よ な ら を 言 う 時 間 は な い











 トリニティが現れて、ヴェーダがハッキングされて。ジンクスが世界各国に編成されてから。プトレマイオスに戻ってきたティエリアは明らかに以前と違っていた。

 母艦で、ただマイスターの帰還を待っていたアレルヤに詳しいことまではわからない。刹那達に聞くことも出来ない。

 けれど、推測することは出来る。あれほどヴェーダに縋るように行動していたティエリアだ。ヴェーダが信用出来なくなってしまった今、その事実に不安を感じているのだろう。親をなくした幼い子供のように。

 そんな彼をアレルヤが案じる暇もなく、出撃の時は訪れる。

 その戦闘の中で、ロックオンがティエリアを庇って負傷した。意識はまだ戻らない。生死の行方さえ、わからない。

(……ここにも居ない、か)

 気が付くと、ティエリアの姿がメディカルルームから消えていた。ロックオンをじっと見守る刹那に後を任せ、アレルヤは部屋を出る。

 それからずっとティエリアを探していた。システムルーム、ティエリアの私室、食堂やブリッジ、その他思い当たるところは全て。

 その何処にもティエリアの姿は無い。ブリーフィングルームから顔を引っ込めたアレルヤは、誰も居ない廊下を見渡して溜め息を吐いた。それでも足を止めることはなく、すぐに宙を蹴って廊下を移動する。

(鑑を降りたなんてことはありえないから……。まだ、どこかに)

 つと思い至ったのは、艦の隅にある行き止まり。意図してブリッジと正反対の場所に作られたその場所は、一面ガラス張りになっていて広い宇宙を見渡すことが出来る。頃合いが良ければ、あの綺麗な青い星も。

 頭で考えるより先にアレルヤの身体は動き出していた。廊下を移動する為のグリップを強く握り締め、強く前を見据えながら。





◇ ◇ ◇





(……やっぱり)

 久しぶりに見えたピンク色の背中は、以前アレルヤが自問自答を繰り返していたあの場所で小さく俯いていた。

 アレルヤはその姿が見えた時点でそっと立ち止まる。気付かれないように、静かに足をつける。

 ティエリアは振り返らなかった。

(小さな、背中)

 あんなに小さかったかと、アレルヤは記憶の中のティエリアを手繰り寄せる。いつだってつんけんとした表情しか見せてくれなくて、冷たい物言いで人を突き放して。それでもアレルヤが本気で拒まれていたことはなかったように思える。

 けれど、今は。

(…………ああ、)

 傷付いている。彼は今、とても傷付いている。

 自分の為に庇ってくれた仲間の傷を、自分のせいだと思い込んで。ただでさえ不安定なところにこの事態だ。無防備に晒されたティエリアの剥き出しの心は、深く暗い宇宙の海に沈んでいるのだろう。

 その背中に、物言わぬ彼の姿に。今初めてアレルヤは拒絶されているような気がした。

(さよならを言う暇も、くれないんだね)

 あの戦闘中、先に諦めていたのはアレルヤだ。世界に絶望して、早々に希望の光を手放した。置かれた状況から致し方ないという見方も出来るかもしれないけれど、アレルヤは。そんな自分を嘲笑うように肩を震わせるしかなかった。

(君を助けられなくて、ごめん)

 すぐ傍にある背中をそっと眺めて、アレルヤは目を細める。

(ごめんね)

 これは単なる独り言だ。アレルヤが自己満足で謝っているに過ぎない。

 それでも、思わずにはいられなかった。

 微かに震えている小さなティエリア。最も救いの手が欲しいであろうこの時に、何も出来ない自分。

(……でも、助けたかったんだ)

 その思いだけは、あの戦いの最中にアレルヤが咄嗟に感じた唯一の感情だった。

 本当は助けに行きたかった。ティエリアを身体を張ってでも守りたかった。

(ごめん、ティエリア)

 けれどあの時も今も、何もしなかったのはアレルヤだ。何処かで仕方がないと思っていても、ティエリアを救わないのは紛れもないアレルヤ自身の選択で。

(……今、君に声を掛けないのは。ただロックオンのことで傷付いている君を慰めるなんてこと、僕がしたくないだけなんだ)

 ティエリアの中で、ただのいい人で終わりたくない。

 そういう風にティエリアと一緒に居たかった訳じゃないから。

 けれどそんな自分に一番辟易しているのも、やはりアレルヤ自身だった。

(だから、さよなら)

 名前を呼びそうになる唇をきつく結んで、アレルヤはティエリアの後ろ姿に背を向けた。そっとグリップを握り、その場を離れる。

 途中静かに目を閉じた。

(……ロックオンも、ごめんなさい)

 傷付いた身体で、生死も未だわからない。生きていたとしても戦い続けられるかはわからない、そんな過酷な状態なのに。

(僕は今、貴方が少し羨ましい)

 そんな醜い自分がお前の本心だと。囁く声に耳を傾けたアレルヤは、静かに微笑を浮かべてそうだねと呟いた。









(それでも本当に、君が好きだったんだ)